ポメラニアンのぽこ丸との日々

犬と過ごす日々の雑感を書きます

ポメラニアンを飼うことを報告して元妻に軽蔑された話

 

「東京では一人で生きてはいけない、それはマストノットであり、キャンノットだ。」

 

そんなことを社会人の最初に思っていた地方出身の俺も、この4年は関東の片隅で独りで孤独に生きてきた。

 

孤独なアラフォーの独り暮らしなど酷いもので、出会い系のアプリに手を出してみては手ひどくだまされたり、何もない時間を埋めるように、若い女の子のマッサージで興奮している演技を自分に対して見せびらかしたりする。

 

伴侶が欲しいのか、刹那の関係が欲しいのか、前者を諦めたら後者に身を委ねるしかないのか、あるいは戻らない過去を追い求めるのをやめられないと、前者は必然的に避けるしかないのか、よくわからない葛藤のなかで、「誰か」を求めてさまようばかりの日々を過ごしていた。

 

「これではだめだ。」

 

わかってはいても、子供のころから、どこか大きな欠落を抱えたままの俺だ。変わることなどできない、そう逡巡と惰性の日々を送っていた。

 

「それでも、これではだめだ。」

 

そう思うとき、人生のどん底から這い上がれた、幸せを求めて確かに幸せだった記憶を手掛かりにする。

 

「犬だ。」

 

離婚した妻と飼っていた犬。すべての不条理に世界の片隅で抗議しながら、この国へのいつかの復讐に代えるように衝動的に妻と結婚し、この国の滅亡すら願いながら生きていた日々に舞い降りた天使。散歩のとき、前を息を切らしながら駆ける犬を追うことは、生まれて初めて、ゆるぎない幸せの陰を追える時間だった。

 

初めて犬を大きな存在と意識したのは社会人3年目のときだ。そのころ俺はまだ少しばかりのエリートのはしくれで、その道から逃れるように、あるいは外れるのを恐れるように、風俗嬢の女の子と、危うい、短い恋人関係にあった。

 

その女の子は、俺と同じような大きな欠落を抱えているような、それだからこそおおらかなような女の子で、ミニチュアダックスフントを飼っていた。

 

会社の寮を抜け出し、その女の子の車で向かった彼女の家で、ミニチュアダックスフントの泣き叫ぶような鳴き声を聞きながら、ゴムもつけずに、彼女と俺は、何度も何度も、した。

 

その子のことを本当に好きだったのだと思う。

 

彼女と犬と、土手で散歩していて、すれ違う中年女性に、かわいい犬だねと言われたとき、「こんなとき、なんていえばいいのかわからなくて困っちゃうの」と彼女は言った。ああ、俺もそうだな、と俺も思い、この子のことを好きだな、と思った。不器用で、壊れやすいおもちゃのような二人だった。

 

結局、俺の勇気のなさで短い関係は終わったが、終わった後にこそ、その女の子と犬と暮らせたかもしれない、存在しなかった「未来」が、生活に、心理に、常に俺につきまとってきた。幸せのプロトタイプとしての、「女の子と犬」、これが俺の本能と、私的言動を規定し続けていると今でも思う。

 

そこで、少しの「パラダイムシフト」だ。

女の子(含む中年女性)との恋はいつか終わる。しかし、犬との友情は永遠だ。まずどちらから人生の打開を図るかは自明だ。

俺はまた言う。

 

「犬だ。」

 

そう決めても、かなり長い間悩んだが、ついに思考の臨界点に達し、明後日、俺は、家にポメラニアンの男の子を迎えることになっている。

 

そのことを、今も元妻が飼っている元愛犬への感謝と、自営業で苦闘しながら元愛犬を育ててくれている元妻への仁義もあって、大切に育てるとの決意表明を付して元妻に報告したところ、「あなたはブラック企業に40万円も払った。高いから大切にするの?保護犬の命も同じ命」と、単身者でも引き受け可能なヨーキーのURLを送られてしまった。

 

言うまでもなく、法令にのっとったペットショップはブラック企業では「ない」。けれども、俺は、元妻は、厳しいが正しいと思った。

 

だから、独りで育てるのはやはり不安だから、手厚いサポートを受けやすい(と思われる)ペットショップで出会うことを選んだ、と正直に弱さを吐露し、そして厳しい元妻の、意見は決して合わないね、自由(勝手)にすれば、という軽蔑に跳ね返された。

 

それでも、俺はその軽蔑が、俺という、どんな勝負も弱さから出発せざるを得ない人間に関しての、人生の新しい局面の始まりの、戻らない過去を振り切る祝福にも思えた。

 

明後日、犬を迎える。ポメラニアンとの日々を、このブログに綴り、我が人生の意味を探り、我が人生を切り開く海図としていこうと思う。